レギュラーもストレンジャーも、8周年だよ。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語の2回目を観て、その他の色々な感想や評論とかも踏まえて、自分なりにまとめてみる。
まず、安易な新キャラ投入に頼るような事をせずに、既存の設定や世界観を壊すことなく予想を上回るストーリー展開は、ただただ賞賛を贈るばかりだし、テレビ版では観れなかった魔法少女達の共闘する姿や、ほむらVSマミのガンアクションはエンターテイメント作品としても一級品だ。
賛否両論であろう、まどかとほむらが対立関係になった事も全然アリだけど、やはりそうなった以上は続編を期待せざるを得ない。
その対立構造は一見すれば神と悪魔の対立関係だけど、それは属性に因るものでなくはまどかとほむらの価値観の対立である。まどかの立ち位置は正義や秩序などといったもで、それに対してほむらの行動原理は(テレビ版から)一貫してまどかの為(=愛)で、西尾維新風に言えば「正義と聖者は相容れない」、岡田斗司夫氏の言葉を借りれば「普遍と特別の対立」の構図で、セカイ系でよくある「世界と愛する人のどちらを選ぶか」という問いに対する答えの違いである。
概念化となったまどかとの再会を望むほむらと更なるエネルギーを求めるキュウベぇ。そしてほむらの愛によってまどかは完結した存在から脱却し、キュウベぇは酷使される羽目になる。この関係性をまどか=作品・ほむら=ファン・キュウベぇ=制作陣と置き換えると、それはコンテンツとしてのまどマギの現状である。と言いうよりそもそも魔法少女と魔女のサイクル自体がコンテンツ産業のそれと同じだ。若々しく輝く魔法少女ソウルジェムはいつかは濁って魔女と成り果て、別の魔法少女に退治される宿命を背負うことになる。ただ魔法少女が必ずしも勝利するとは限らず返り討ちに遭うこともあり得る。
コンテンツ産業の永遠の命題である、作品の完結と商品継続のジレンマは消費者側としても切実だ。まどマギに限らず好きな作品に対して「綺麗に完結して欲しいけど、いつまでも続いて欲しい」という矛盾した感情を抱く事は決して珍しくないし、むしろ真っ当と言える。現に感想として続編は作って欲しいけどキチンと完結して欲しいと思っている。
何でそこに着目したのかと言うと、単にキャラクターの心情を読み解くのが苦手っていうのもあるけど、何より自分自身が抱えてる悩みに直結しているからだ。オタクでいる事に嫌気が差したとかは決して無いが、毎クール作品の消化に追われ、漫画やグッズとかも物量的に限界が近付いて、消費者としてどうあるべきかの答えが出ないでいる。
エヴァハルヒけいおん!などのビックタイトルによってすき間産業だったとも言えるコンテンツ産業は市場を拡大し、またYouTubeニコニコ動画などの動画投稿サイトや各種SNS聖地巡礼などにより、ソフト枠を越えてブームから文化になったと言えるし、さらにはクールジャパンとして政策の一角を担うものとなった。それによって作品と商品の二律背反はよりシビアなものとなるだろう。魔法少女まどか☆マギカは単に10年代を象徴する作品に留まらず、決して正解なんて無いその問いの一つの指針として成り得ると作品だと確信している。



・・・・ここまで書いておきながらなんだが、まどマギの感想かこれ?
まぁ、それだけ語りたくなる程の魅力をもった作品ってことで。


結論・杏さや最高。